
台湾のお葬式
今日は台湾のお葬式について書いてみます。
人生で初めて経験したお葬式で記憶があるのは台湾のひいおばあちゃんのお葬式、その時何歳だったかは覚えていないが、台湾の田舎「玉井」におばあちゃんの実家があって、そこで大家族が生活してて、ひいおばあちゃんがいて。
農家であったため、前にも触れたが、庭先に鶏やなんかがいて、牛と豚もいた。
ひいおばあちゃんはある朝顔を洗ってて、そのまま帰らぬ人となった。
亡くなった歳はわからないが、大往生だったと思う。
そしてお葬式、うん、言うならばお祭り?イベントのような?盛大なお葬式だった。
当時まだ土葬だったので、お墓とか行くと、子どもの私にとっては、最高の遊び場だ。
罰があたるぞ・・・。
お葬式も沢山人を呼んで、ごちそうが出たと記憶している。
しかもひいおばあちゃんのお葬式であったかどうかは覚えていないが、誰かが亡くなると、車を走らせて、後ろのきれいな女性が立っていて、マイクで泣きながら、歌っているような、故人を悼むことをしていた。
そして、ひいおばあちゃんのお葬式にすごい人が集まり、私と他の子どもたちは留守番していて、
みんなどこからか帰ってきて、家のだいぶ前から、なんとみんな土下座して、四つん這いになって家の帰って来た。その時母がすごく泣いていて、よほど悲しんでいるんだと思ったら、泣きなが何かを指さし「虫~」と言った、母は虫が苦手だったようだ。(笑)
土下座と言ったら、半沢。面白いドラマだった。
そして、長椅子を並べて、みんなその上を立って歩いた。故人をあの世に渡らせる儀式だったような。
そして、今でも変わらないが、お寺に行くと、古紙みたいな黄ばんだような紙に金箔が貼ってあるものを燃やし、あの世でお金に困らないようにとのこと。
いろいろなしきたりがあるようだが、残念ながらあまり詳しくない。また何かの機会に思い出したことをこのブログに書けたらと思う。
しおり
2019年の父が亡くなって、親のお葬式は大変だった。
悲しかったし、疲れ果てた。つかの間の入院生活だったけど、看病は大変だと思った。
父は入院中もとても気を遣う人だった、最後まで。
ナースコールを鳴らしたらと言ったら、「看護師さん今昼ごはん食べているじゃない?」
と、何言っているの?と私は思った。
そこで私が誕生日を迎え、父に「今日何の日かわかる?」と聞いたら。「パパ、何もできないから」と。私はただ「おめでとう」と言って欲しいのと言ったら、「おめでとう」と言ってくれた。
一緒に最後に迎える私の誕生日だった。その4日後に亡くなった。
台湾から母も駆けつけてくれた。
いつも思うのはやはり「母は強い」ということ。
私が子どものことで大変だったと時も、母がいてくれて、どんなに心強かったか。
ありがとう、ママ。
人生誰でも最後の日がやってくる。
それまでできる限り頑張りたい。
生きていればなんとかなるって!!わん、わん。

