
私史上偉大なる一歩
台湾の地を初めて踏んだ時、正しくは2度目だ。
両親は兄と私がもっと幼い頃に家族総出で台湾を訪れているみたい。父は初めて飛行機乗って、飛行機がすごく揺れて怖かったと話していた。
当時(48年位前?)台湾では厳戒令が出ていて、(「戒厳令」とは、憲法や法律の一部の効力を無効化し立法権・行政権・司法権の一部または全部を軍隊の指揮下に移行する処置である戒厳について規程した法律または命令のことを意味する:weblio辞書より引用)夜は外に出られなかったと言っていた。
話を戻すと、私が生活の場を台湾に移すことなった日の事はもちろん小さかったので、覚えていない。私の目にはどんな世界が映っていたかは定かではない。そこでの生活がスタートしたのだ。
人類が初めて月面着陸をした(かもしれない?)と言われているように、私は台湾の大地を踏んだのだ。
おばあちゃんの手
阿嬤(あーまー)台湾の言葉でおばあちゃんのことをいう。
ちょうど写真のようにおばあちゃんの手はしわくちゃで、シミだらけだったと記憶している。怖くて、でも優しいおばあちゃん。
台湾についた頃は母も働かなくてならなくて、私は「台南」というところでおばあちゃんといっしょに暮らしていた。
「台南」(タイナンと読む、台湾の西南にある市)その時おじいちゃんも一緒だったけど、私の本当のおじいちゃんではない。でもふたりとも私のことをすごく可愛がってくれた。
おばあちゃんは昔日本が台湾を統治していたこともあったから、日本語も少し話せた。おばあちゃんとの思い出も沢山ある。
時計の針の見方を教わった、美味しいごはん、隣近所集まってお茶を飲みながら世間話をしたり、野外で布袋劇という人形劇をよく見に行った。長い木の椅子がいっぱい並べられて、みんなそこに座り、熱いのでうちわを扇ぎながら見ていた。当時子供だった私は夢中になってみていた。しかし布袋劇に使われている人形は見てもらえれば分かると思うが、少々ダサいというか(私だけそう思うのかも)
中でも一番楽しかったのはバス旅だ。よくおばあちゃんはバス旅に連れてってくれた。バスの中では年配の方が台湾語の歌を楽しそうに歌っていた(閩南語)子供の私にはさっぱりわからなくて、退屈だったけど。
おばあちゃんはいつもポケットからちり紙に包んだ干した高麗人参をくれた。まずくて私には地獄だった。それも身体にいいからとのおばあちゃんのやさしさだった。ドラえもんじゃないけど、おばあちゃんのポケットからはいろいろな夢のある道具ならぬ、いつも高麗人参が出てきたのだ。
おばあちゃんはもう何十年も前に亡くなった、その時なぜ私は飛んで行かなかったと後悔が残る。今こうしてこのブログでおばあちゃんのことを書く、おばあちゃんにもう二度と会えないけど、おばあちゃんを思うと懐かしくなるとともに心が温かくなる。
しおり
今日は私にとって2回目のブログ記事。
特におばあちゃんのことについてほんの少し書いただけだけど、まだまだたくさんある50年分の記憶のほんのワンシーンに過ぎない。
これからもっともっと書き残して行きたい。間違えなくその時その場所で私達は生きていた、同じ時間を過ごしていた。
今生きて私の目の前にはもう二度と姿を見せない、見ることができないけど。記憶の中で生きているおばあちゃん。大好きだよ、おばあちゃん。
私という人生劇場、最優秀主演女優賞を勝ち取ることができるのか。
フフフ、もちろん主演に決まっているんじゃないか??とツッコミが聞こえてきそうだけど。

